ウ ボイの故郷へ
   昭和63年(1988年)〜平成元年(1989年)


 ルーツ探索のフィナーレは、オペラ全曲の入手後、13年目に思いがけなくやってきた。
昭和63年春、グリークラブは、ウイーン・フィルの本拠であるウイーン楽友協会ホール
から招待演奏の機会を受けた。 この快挙をきっかけに、ウ ボイの故郷を訪ねよう、との
気運が盛りあがった。各方面への渉外が始まった。

  ミルナから早速、嬉しい便りが届いた。ザグレブ(クロアチアの首都)ではできる限りの
お世話をしたいと 有難い申し出である。平成元年(1989年)2月はじめには、現地の
新聞が送られてきた。

←「ウ ボイを日本人が歌う時」の大見出し

 ユーゴ゙最大のクロアチア語新聞・ヴィスニクの半ページ扱い(1989年1月29日号)

・関西学院グリークラブのために、オペラハウスはオペラの特別上演を予定
・1919年に始まるウ ボイの不思議な物語の紹介などの記事が掲載されている。


【オペラ見学破格の扱い】

 新月会の有志も、現役の後を追ってウィーン経由ザグレブへ出発。
ザグレブでは、ミルナと愛娘とがホテルで待ってくれていた。その日はオペラ見学の予定。
旅程に合わせ、オペラハウスのご厚意の上演である。

 「オペラハウスの場長ヤンコさんが『ウ ボイを70年も歌い続けているグループからお金は頂けない』といってくれた」と ミルナは早速、報告した。そのうえ「バルコニー席を100席分も、もらってきた」という。 この破格の扱いに一行は感激した。

1989年3月17日。ああ、わが ウ ボイは、大歓迎をうけて、70年ぶりのお里帰りができた!

  いよいよ、念願のオペラ見学。 終幕の大団円のウ ボイに手拍子だ。 救国の英雄ズリンスキーの突撃に客席はもう感動のルツボである。

歌劇を上演したクロアチア国立劇場→


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