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ウ ボイにとりつかれた男がいた。軽部 潤(昭和28年卆)である。
彼は、こんどは世界合唱祭のビヨーギ監督に対するアプローチを試みることにした。 ビヨーギ氏から、新月会(関学グリークラブOB会)杉田理事長(昭和16年卆)にウ
ボイのピアノ
スコアが届いたのは、昭和47年夏の終りだった。
ピアノスコアは、ビヨーギ氏の友人(ユー
ゴスラビア米国大使館員)が入手したもので
あった。
早速、グリークラブの楽譜と照合してみたが、リズム・メロディー・ハーモニーは、ほとんど同じ。 歌詞は、あちこちスペルが違っていた。 残念なことに、歌詞の発音や意味、そしてオ
ペラの内容は全くわからなかった。
【トンネルの向うに明かりが】
ここに、強力な助っ人が、登場する。語学に造詣の深い軽部の友人、渡部 尚(昭和29年卆)である。
渡部も軽部も、仕事に追われていた。軽部は、しばしば東京へ出張する渡部に「東京出張のときは、こんど開設されたユーゴ大使館に行ってもらえないか」と頼みこんだら、快くひきう
けてく れた。 渡部は、ユーゴ関係の手引書を3冊も英国から取り寄せて研究を開始。
昭和50年11月、渡部は、ビヨーギ監督が送ってくれたスコアを持って大使館の門をた
たいた。 クルシカパ文化担当官が応接し、英語でジェスチャーをまじえて丁寧に教えてく
れた。
『ユーゴスラビア社会主義連邦共和国には、六っの共和国があり四っの言語が使われ
ているが これはザグレブ市を首都とするクロアチア共和国で主に使われているセルボ・ク
ロアチア語である』
クルシカパさんは、ウ ボイの歌詞をこう解説してくれた。 これで、ルーツ探索上の大き
な疑問の一つが解けた。長いトンネルの向うに明かりが見えてきた。全容解明まであと
一息だ。
《註》
セルボ・クロチア語: かってのユーゴスラビアでは、ローマ字とキリル文字のどちらでも
表記できるセルボ・クロチア語が 主要な言語であった。
(cf. ビジュアル・ワールド・アトラス)
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