空襲警報下のクヮルテット 昭和20年(1945年)


 ウ ボイは、その後もずっと歌い続けられた。
第2次世界大戦中も例外ではなかった。戦局は、日ごとにきびしさを増し、グリークラブの
メンバーも次々と学徒 出陣していく。だが、練習は続けられた。

  昭和20年2月、雪の日のことである。軍需工場に指定されていた松下電器の本社工場で慰問演奏会が開かれ、グリークラブが出演した。少ないメンバーの上に学徒動員にかりだされていたので、現役3人にOB 1人、 たったの4人が、数千人の聴衆の前に立った。

 途中、空襲警報のサイレン。避難の騒ぎがあったが、演奏会は続けられ10数曲を歌った。
アンコールの拍手に応えて、4人の侍はウ ボイを歌った。 拍手、しばし鳴り止まなかった
という。

 「たった4人の演奏会」の主役は、トップテナー:岡本不二雄(昭和23年卆)、セカンドテナー:藤岡隆昭(昭和25年卆) バリトン:石田和夫(昭和16年卆・物故)、バス:前田義之(昭和25年卆・物故)であった。


新時代へ夜明けの歌


 悪夢のような戦争が終った。 グリークラブのメンバーが、次々と復員してくる。本格的な
練習が始まった。 昭和20年11月、文化祭に出演。朝日会館のステージで戦後はじめてのウ ボイが、新しい時代の夜明けを告げた。


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