兵士の眼に涙が  大正8年(1919年)


 交流の提案は、とんとん拍子に具体化した。最初に、チェコ軍のオーケストラと合唱隊が、関西学院のキャンパス(現在の王子公園) にやってきて音楽会を開催した。記録によると、大正8年9月15日とあり、多彩な曲目のプログラムも残されている。

 これが、きっかけとなってグリークラブがチェコ軍宿舎で歌ったりして、数回も音楽の交歓が続くのである。
 チェコ軍の合唱は、グリークラブの青年たちの心をうった。特に、ボヘミアンソングの哀愁の響きには引きつけられた。 「レパートリーのうちのいくつかを、私たちに頂けませんか」とメンバーにせっつかれて 塩路は頼みこむ。 兵士たちは、にこにこと「うん、欲しいのはどれでもどうぞ」

  楽譜は、どれもこれも長い間のシベリア転戦と行軍ですりきれていた。 グリークラブ員は苦労して判読しながら写していく。そして、兵士たちから聴いた曲を思い出し思い出しやっと、ガリ版刷りの男声四部合唱の楽譜ができ上った。 その中にウ ボイ(U Boj)があった。

 やがて、船の修理が終りチェコ軍の帰国の日が近づいた。
その夜、送別会が宿舎で開かれ、グリークラブは譲ってもらったウ ボイほか数曲を歌った。兵士たちは、異国の学生たちが合唱する「自分たちの歌」にじっと耳を傾ける。歌い終ると、割れんばかりの拍手。兵士たちの眼には涙が浮かんでいた。

←チェコ兵士と交歓するグリークラブメンバー

 チェコ軍との交流は、わずか二ヶ月足らずだった。だが、言葉は通じなくても、音楽で結ばれた兵士たちとの友情は、ウ ボイとともに忘れることのできない青春の思い出となった。

 この後、この曲は関西学院グリークラブの演奏会には欠かせない持ち歌となるのである。

 しかし、「ウ ボイ物語」はこれで終りではない。これから半世紀にわたって、不思議な運命をたどっていくことになる。

 


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