プロローグ
   チェコの軍用船座礁 大正8年(1919年)
 ウ ボイという合唱曲は、不思議な生い立ちである。数奇な運命の糸に操られながら、
わが国の男声合唱の愛好者たちと そのファンにとって、血わき肉おどる名曲となっていく
のである。 アンコールの拍手に応えて男たちは、リズミカルな行進曲風のこの曲を眼を
うるませながら、張りさけんばかりの声で歌いあげる。

 この聞きなれない外国語で歌うこの曲は、一体全体、どこで生まれ、どのようにして
わが国に伝わったのか。

 この不思議な曲は、明治うまれの関西学院グリークラブ100年の歴史の中に息づいて
いるのである。 関西学院グリークラブの80年史をひもとくと、大正3年にわが国も参戦
した第一次世界大戦と深くかかわり、チェコの軍隊との奇しき関係にその端を発している
ことがわかる。
  • 第一次世界大戦は、イギリス、フランス、ロシア、アメリカ、日本など24ヶ国の連合
    軍と、ドイツ、オーストリアなど4ヶ国の同盟軍との4年余りも続いた戦いであった。
     <大正3年(1914年)7月〜大正7年(1918年)11月>

  • チェコは、当時、オーストリアに併合されていたため、多くのチェコ人も動員され
    オーストリア軍に属して、東部戦線でロシア軍と相手に戦闘をさせられていた。
    しかし、チェコ人兵士には戦意がなく、ロシア軍に投降のうえチェコ軍団を組織し、
    祖国の独立をめざして逆にドイツ、オーストリア軍と戦うことになる。

  • 1917年(大正6年)ロシア革命、翌1918年ソビエト政府はドイツ、オーストリアと
    単独講和。

  • 6万人のチェコ軍は、ソビエト政府に反乱。日本軍を主力とする連合国軍がチェコ
    軍救出を名目にシベリア出兵。 9月にチェコ軍救出。

  • 1918年(大正7年)11月、大戦終結。

  • 1919年(大正8年)、チェコ軍は、ウラジオストクから順次、海路で帰国を開始。

  • 同年8月、847人乗船のヘフロン号が台風を避けようとして、下関沖で座礁。
    沈没は免れたが、船は修理のため 神戸へ回航。

  • チェコ軍は、同年9月列車で神戸着。修理の期間中は神戸市で待機となる。
かくて、チェコ軍の帰国船の座礁がそのきっかけとなって「ウ ボイ物語」は展開していく。


前のページへ

目次へ戻る

次のページへ